紀行文の部屋

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湘南ライナールポ ホーム編

新幹線に見下ろされる形の10番線には30分おきに湘南ライナーが入線する。

ホーム上のライナー券売り場で券を買うのはお仕事を終えたサラリーマンあるいはOLばかりで、学生服にカメラ片手の呑気な輩は僕以外に見当たらない。この1面2線の下り東海道線ホームには左にラッシュ電車を待つ人々、右に¥500で安息の地を手に入れた人々が一堂に会する。同じ行列でも訳が違う。左の人々の顔はどことなくげっそりした表情に見えるがきっと気のせいだろう。見る人が見れば格差社会の縮図と言うかもしれない。

 

最初のライナー1・3号は見送り5号に乗る。最初の2本は全車がBOXシート二階建て、僕が乗るのはリクライニングもする特急車両で同じ料金を払うのに前者の人を気の毒に思っていたが一人で1BOXを占領して思い思いにくつろぐのを見て普段使いしているだけあってやり手だなあと感服。変な食い意地を張ってホームで1時間待つ素人とは違う。

また手間を省くため乗車口は2つのみ開かれそこで集約して検札を行なっていた。この際助役が、ドアを開ける車両のみ空気ブレーキを抜いて手動で開けていた。やはり机上の想像だけでなく実地検分は楽しい。

 

オタク的な視点でいけば新幹線ホームと在来線ホームに2階建車両が並んだのは興奮に値する。どちらも大量輸送を目的に製造され時代に取り残されて姿を消す運命にある車両…胸が熱くなる。そんな2階建車両もこの時ばかりはその力をいかんなく発揮して発車していった。

乗車は次回です(*´-`)

 

 

 

いいな。いいな。八高線

まだコロナも下火だった2020年3月3日八高線に乗りに行った。

 

始発列車でまだ暗い八王子駅へ。

5:51、川越行の電車に乗り込む。名称上は八高線であるがこの区間に用はない。

本領を発揮するのが高麗川以降の非電化区間であることは一度乗った者なら誰もが認める所だと思う。

むしろこの八王子ー高麗川というのはいつも混んでいて、車両も無骨でいかにも郊外の路線という感じがしてどうも嫌だ。

 

隣にはファンデーションを叩くように塗りたくる、一種の哲学的化粧技術を身につけたおばさんが乗り、降りていった。

出庫したばかりだからか車両も底なしに冷えている。僕は同区間が東京近郊の素晴らしき路線・八高線の株を下げているように思えてならない。

現に学校で八高線を好むことを明かすと八王子に住む学友から

八高線が好きなのかい?!」と何か異質なものを見るような目で返された。

ムキになって「高麗川以降が良いんだよ!」と返すと

「そんな遠く行ったことない」と益々異様な空気になる始末。

 

八高線は混んでて短い電車が走る退屈な路線」

そんなイメージが世間一般に浸透してしまっているのである。

本当は何もない平地をディーゼルカーが走る素晴らしい路線なのにも関わらずだ!

 

川越線には悪いが同区間は同線に編入という訳にはいかぬだろうか。川越線なら一大観光地の川越を有するし不良路線を編入しても集客に何ら支障はないだろう。

 

30分に及ぶ苦行を経て遂に高麗川駅2両編成のディーゼルカーが入線して来た。

エンジンで暖められた車内はノーパンに暖ズボン、Tシャツにジャンバーというスタイルで凍えかけた筆者を一気に眠りにつかせる。

BOXシートから広がる畑と家と太陽光パネルの単調な車窓を短い気動車が淡々と走る。

そこにあるアクセントといえば遮断機のない踏切に鳴らす警笛と自動アナウンスくらい。都会暮らしに疲弊した社会人にとまではいかないけれど実に素晴らしくそして手軽に旅情を感じられる区間だ。

 

コロナ騒ぎで中止はされたものの、5月には久しぶりに同線をSLが走る予定であった。地味ではあるが

 

本題より悪口が長いのもどうかと思うが本当に素晴らしいものは言葉に残す必要がないのである。さあ、あなたも八高線GO

始発でいこう。群馬。

鉄道旅行は始発列車に限ると思う。

同行者がいれば自重するが、今日の様にフリーきっぷを使用する時なんかは始発に乗るのが義務のようにすら感じられる。僕は始発列車に乗ると決めて寝坊したことはただの一度もない。昨日は学校に5分程遅刻したが、今日は朝4時にぱっちり目を覚ました。要は心の持ちようである。本日は群馬に出掛けるわけだが、肝心のフリーきっぷをまだ買っていない。だから余裕をもって家を出た。辺りはまだ真っ暗である。

 

駅員にフリーきっぷの名を告げるとタブレット端末をいじり、「ここでは売ってませんねえ」と言う。フリーエリア内でしか販売していないらしい。私が使用しようとしているこの切符は、群馬県内のJRと私鉄のほとんどが乗り放題で2200円と、中々太っ腹なフリーきっぷである。県内に4つある世界遺産に寄らせる魂胆であろうが僕はそのどれにも寄らない。興味が無い訳ではなく、むしろあるのだが、世界遺産の開園は軒並み9時と中途半端で、始発列車で出掛けるのを生業としている身としては扱いずらい存在なのである。そうこうしているうちに始発は行ってしまい、次に乗ることになった。行程に影響はないから良いのだが、30分もホームで待つはめになった。

 

眠っているうちに高崎に着いていた。ドアを開けると朝日が眩しい。ここからが今日の旅行の本番である。理想的なスタートを切ったな、と嬉しくなり、一人ニヤリと不気味な笑顔を浮かべた。しかしホーム上の助役はそんな余韻を与える間も無く乗客を急かす。隣に止まる横川行の電車との接続時間は僅か1分。電車は私が乗車するのと間髪なく発車した。高崎駅を出ても予想に反して新興住宅が林立しており、おや?と思ったが、隣駅・北高崎を過ぎるとのどかな風景が広がったので安心する。途中、安中という駅に亜鉛工場の引込線があって、現在でも福島まで貨物列車が走っているという。安中駅を出ると、なるほど確かに工場が建っている。しかし随分急斜面にある。

 

8:03に横川に着き、フリー切符を求めるがそこでは発売しておらず。折り返しの電車に乗って普通運賃で群馬八幡を下車。聞けばだるまをたくさん置いた寺があるそうだが、車窓から見えた赤い鳥居に向かって足を進め石段を上ると目の前に現れたのは何の変哲も無い寺であった。何だとがっかりしていたが、こちらも歴史があるようなのでまあいいかと思って駅に戻る。帰りにセブンイレブンよもぎ餅を買っていると踏切が鳴り始めた。全力疾走したが無残にも棒が半分降りかかっていて、渡ろうと思えば渡れたが小心者の僕にできる筈もなく、踏切の棒は僕の目の前でだらしなく垂れた。目前に乗車予定の電車が颯爽と走り抜ける。ホームに停車した電車は、10秒も経たずしてドアを閉じ、発車した。僕は電車に乗り遅れた。

次の列車は40分後にある。しかしこれに乗れば僕が一昼夜掛けて作成した渾身の行程が崩れる。僕はそれが惜しくて何を血迷ったか高崎駅まで歩くことにした。時刻は9:52、高崎からの乗り換え列車は10:25である。今思えば無謀な挑戦であったが、この時僕は根拠のない自信を覚え、悠々と足を踏み始めた。

スマートフォンが故障しており、地図アプリの使用ができなかったので線路に沿って足を進めていると、道中水上駅へ向かうべく逆向きに走る臨時SL列車に出会った。畏敬の念すら抱かせるSLが後ろ向きに一生懸命動輪を動かす姿(自走はしていないのだが)は少し滑稽に思える。ここまではそれなりに順調な足取りであった訳だが、目先に大きな川が存在するのを目視し、回り道をしようとした結果道に迷い、30分以上足止めをくらって、行程にあった高崎10:25発・731M列車はそうこうしているうちにおそらく行ってしまった。少なくとも発車時刻は過ぎた。あまりにも道を抜け出せないのでタクシーに乗ろうと2車線の道路で待ち構えるが、一台たりとも通らない。ヒッチハイクでもしようかナと本気で悩んでいるとなんと僕が立つすぐ横にバス停が佇んでおり、行先には高崎駅の文字がある。1時間に1本の運行で、15分前にここを出発したようであるがここで待つことにする。

バスは迷っていた道だとは思えないくらい軽やかに進み遂に高崎駅に到着したのが正午のこと。ようやく帰ってこれたという感情も相まって、随分立派な駅舎に見える。ここからは遅延分の行程をカットし、本来の行程に復帰できることとなった。お天道様はすっかり頭上に昇ってしまったが、ようやくフリー切符を手にし、駅前で買った味噌饅頭片手に意気揚々と列車に乗り込む。高崎から30分程列車に揺られ、13:33渋川着。渋川からは上越線から枝分かれし、吾妻線を利用する。かねてより是非行きたいと思っていた所に近づきつつあるから少し単純な行程にも我慢ができる吾妻線で1時間ほど行くと長野原草津口駅に着く。しかし駅前は閑散としており、駅から30分程バスで行ったところにそれはある。

 

バスターミナルに着くと早歩きで湯畑への道を下る。行程の関係上観光をしていられるのは1時間のみだ。有名な西の河原公園を見に行った後、押しつけがましいことで有名な饅頭屋にて試食の饅頭を押し付けられ、最後は「白旗の湯」という公衆浴場に入りバスに乗り込んで帰路についた。かなり慌ただしい観光となったが、金は一銭も使わずに満足した観光ができ、試食を貰おうとするがめつさを前面に出さずとも腹が膨れるなんてなんて素晴らしい観光地なんだ!世間体からスーパーの試食に近寄れないそこのあなた、草津温泉では手を空けているだけで勝手に饅頭が転がり込んできます。

 

 

2019年9/29実施

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年末のムーンライトながら号 其の二

23:00頃、ながら号が入線。殺伐としていた10番線ホームから解放されるべく足早に車内へ。隣は大きなトランクを抱えた初老の男性であった。席に座り窓にもたれていると隣の男性は先客の後方客に断りを入れてからリクライニングをした。私もそれにならおうとしたが後方客が座る時にはすでに私が座席を倒していたし、今更断るのもおかしい。それに男性にならうのも気恥ずかしかったので一瞬の思考のうちにダンマリを決め込むことにした。

 

発車してすぐに検札を済ませると一気に眠気が襲う。ここで眠って浜松駅の長時間停車や闇を切り裂く爆音エンジンを味合わないのはいささか勿体ない気がしたが、本来の用途を考えれば豊橋駅近くまで眠ったのは正しい選択だったのではないかと思う。名古屋に着くとトランクを抱えた男性は下車した。男性の膝と前の席の背もたれとを隙間なく埋めたトランクのおかげで私はトイレに行く気も起きなかったわけであるが私が便が近く徹夜して駅に着くたび席を立つタイプの人間であったらお互い大変な思いをしたと思う。

 

5:45、まだ暗く雨が降る大垣駅に到着。思えば昨夏の初のながら号乗車の際も雨に降られた。残念ながら今度乗れる機会を指で数えて車内の過ごし方を熟考する必要があるほどに貴重な存在となってしまった夜行快速だが、弱冠14で2度も乗車の機会に恵まれたことに感謝したいと思う。コロナ渦で事実上の廃止となってしまったムーンライトながら号にもう一度乗りたい!そして、かつての淡い鉄道旅行を片鱗でもいいから味わい尽くしたい!この想いが今後しばらく僕を鉄道に向かせる原動力となることだろう。

 

年末、ながら大垣へ

2019年も終わりに迫った12/29、東京から大垣まで夜行快速・ムーンライトながら号に乗車した。

親・兄弟一同家族は翌朝の新幹線で来て合流し年末を京都で過ごすことになっている。

 

発車よりもずいぶん早く20時ごろには都内の自宅を出る。

 

今回は貧乏旅行者にはお馴染みの青春18切符を使用するが

日を跨いだ時刻でその日の消印を押す節約術はよく知られていて、

ながら号の場合は0:30に到着する小田原駅まで別途普通乗車券で向かい

0時を回った時点で改札を通るのが貧乏乗客の通例となっている。

 

僕ももれなくその術のお世話になるべく小田原駅までの乗車券を購入。

小田原までは東京からの湘南ライナーで向かい、ながら号に乗り換えるつもりでいたが

よくよく考えてみればこの時期の会社は年末休みに入っていて、お客が駅に来ないなら

湘南ライナーも運休していた。

 

浮世離れしている学生にそれを勘案する想像力は備わっていない。

 

ながら号には始発の東京駅から乗ることにして、

22:00発車の寝台特急サンライズを見送る。

父と子3人が寝台特急を見てワイワイやっている。乗車するのだろうか。

今日は彼らの同じくらいの楽しみを伴っているから嫉妬すべき対象にも自然と微笑みが浮かんでしまう。

 

電光掲示板一杯に「快速 ムーンライトながら」の文字が詰め込まれている。

 

その下には「満席」の文字が踊る。

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23:00頃、ながら号がようやく入線。

オタクが居座り殺伐としていた10番ホームから解放されるべく足早に車内へ。

隣は大きなトランクを抱えた初老の男性であった。

席に座り窓にもたれていると隣の男性はごく自然な動作で先客の後方に座る客に断りを入れてからリクライニングをした。

私もそれにならおうとしたが後方客が座る時にはすでに私が座席を倒していたし、今更断るのも何だか気恥かしい。

僕は一瞬の思考のうちにダンマリを決め込むことにした。

 

発車してすぐに検札を済ませると一気に眠気が襲う。

ここで眠って浜松駅の長時間停車や闇を切り裂く爆音エンジンを味合わないのはいささか勿体ない気がしたが、本来の用途を考えれば豊橋駅近くまで眠ったのは正しい選択だったのではないかと思う。

 

名古屋に着くとトランクを抱えた男性は下車した。

男性の膝と前の席の背もたれとを隙間なく埋めたトランクのおかげで私はトイレに行く気も起きなかったわけであるが、

私が便が近かったり、徹夜して駅に着くたび席を立つタイプの人間であったらお互い大変な思いをしたと思う。

 

5:45、まだ暗く雨が降る大垣駅に到着。

思えば昨夏の初のながら号乗車の際も雨に降られた。

残念ながら今度乗れる機会を指で数えて車内の過ごし方を熟考する必要があるほどに貴重な存在となってしまった夜行快速だが、弱冠14で2度も乗車の機会に恵まれたことに感謝したいと思う。

 

昨晩サンライズ号の側で見たはずの親子は

続行の米原行きの車内で眠っていた。