紀行文の部屋

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何故勉強するのか。現役中学生が解説!

 

何故勉強をするのか。

去年の秋口の僕は、憂鬱な物理の授業でそんなことばかり考えていた。

こんな訳の分からん記号を飲み込ませて何になるんだ!複雑難解な数式だって一体どこで使うんだ!

興味のない授業を前にすると勝手に憤慨し机に突っ伏した。

 

でも今は何となく「勉強」ということへの定義づけができたように思える。

勉強とは、物事に没頭するための土台なのだと。

 

具体的に説明すると、目の前の城を前に 「この城カッケー🌟」からちょっと勉強して知識がつくことで「さすが清正!石垣の流線が実にビューティフル❤️」に変わるわけ。

 

これは歴史の授業を通して学ぶがもっと実用的でなさそうな理科も、物理をマスターすれば、みんな大好きディズニーランドのタワーオブテラーでポップコーンを手に浮かせて無重力を体感できるようになる。これは極論だが勉強すればするほど目の前の景色が面白く映るのだ。

 

趣味の勉強は勿論、学校の勉強もこんなの役に立たないと食わず嫌いで終わらずとりあえずやってみる。この意識を持つと知的好奇心が刺激されて楽しくなった。

 

最近は、学校に行く必要なんてない。外に出て学生のうちから経験を積むべきだ!

といった主張もあり、僕も素晴らしいと思うがこれはいわゆる「学校の勉強」が邪道、不要、ということでは決してなくて固定概念に縛られた従来の学校から解放され自分で必要な学習をしろ!という、より険しい道を示唆するものだということを理解する必要がある。

 

もっとも、親のスネかじって偉そうにしてるガキの書いた文だから真に受けられても困る。でも一応自分の中で結論が出たから書いてみた。

 

 一見机上で完結するように思えることも実は日常の延長線上にあったことにようやく気づけた中2の秋。「何で勉強すんねん!」と悩む人の一助になれば良いのだが...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

七尾に着くと直ぐに反対ホームへ走り11:35発の列車で今来た道を折り返す。ちょうど左窓にはつい先ほどまで相席していたおじさんの横顔が見え新手のヒステリーに使えそうだなと思いつつ、別れたばかりの若者が反対列車に乗り尚且つ自分の真横にいたら心臓に悪いだろう。そう思い列車がホームを抜けるまで身を屈めておいた。

 

今回の目的は車両を体に染み込ませることであるから1秒でも長く車両に乗っていたい。本津幡まで引き返し、交換列車に乗り換え、再び七尾を訪れることになっている。車内は先ほど同様転換クロスシートが並んでいたが車内の端にある一角だけは時代に取り残されたように古い佇まいでいる。僕はそこに座り本津幡までの時間を過ごすことにした。

隣にあったトイレもまた古く、和式便所とペダル式の洗面台がいい味を出し僕をご機嫌にしてくれる。どうしてこんなものを愛でる中学生になってしまったのだろうと思う。トイレを前にいい気分な反面、いつしかペダルを押さずとも水が流れるトイレが全国一律に線路を走る日がやってくると思うとやはり寂しい。目先の話ではないがそう遠い未来でもないだろう。革新的なテクノロジーと不便で古いものが混じりそして入れ替わる、まさしく技術・文化の転換期に生まれた我々には古いものの味を最後に噛みしめられるチャンスがある。共に老兵の甘味を吸い取ろうではないか!

その後は、ぽかぽかの陽気とふかふかの座席に身を委ねうるさいモーターとジョイント音を子守唄に眠った。目を覚ますと金沢からの特急通過待ちのために暫く停車しているようだった。ずいぶん長く停車しているように思えたが、後で時刻表を開くとそうでもなかったらしい。だらだらとまどろみ、12:48、中津幡着。時を同じくして発車する七尾行は間も無く入線してくるところだった。乗っていた列車が逆の立場であったら0分乗り換えは失敗に終わっただろう。僕は賭けに勝ったわけである。

 

乗り換えた七尾行がまた愉快な旅だったのだが、それは次の話に。

 

七尾線変身前夜 2

高架ホームに姿を現した3両編成の車両に気持ちも高ぶる。

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お目当の413系

 

しかし車内は新快速電車で見られる座席に自動ドアボタンと近代的な内装で、50年変わらず乗客を運びながら、また変化して生き抜いてきたのだなと勝手に思う。この車両、1960年代に急行型車両として製造され急行亡き後は改造・改番されローカル輸送用として命を繋いできた。そうした中七尾線には改番されずに走る仙人のような車両が改造車両に連結されて2両だけ残っている。あわよくば乗りたいがこの時点で半ば満足した。

 

北陸本線IRいしかわ鉄道を直通し七尾線との分境駅、津幡を出ると電化方式が改められるために電気が一旦消灯する。1週間後に投入される新型車両の性能を以ってすると消灯はしないためこの光景が見られるのもあと僅か。金沢から津幡までは立ち客が出る程に混雑していたが七尾線内は終始空いていた。

 

同線を時刻表で見ると横山ー南羽咋など妖艶な日本海を見させてくれそうだがそういった期待はしないほうが良い。車窓は凡中の凡で海は一切見えない。でもそれはそれで雰囲気がある。10:50、羽咋で下車。11:08の観光特急・花嫁のれんで実質の終点・七尾を目指す。こちらも国鉄型特急を華やかに改造したもので1日中うるさいモーター音を聞くことができすっかりいい気分だった。入線のずいぶん前から「ハナミズキ」が接近音として流れこれまでに経験したことがないほど感動的な演出のもとアテンダントが出迎える。

 

適当に発券した座席番号は10番C席。嫌な予感はしていたがBOX席の通路側で先客が2人居た。

相席のおじさんは僕を好意的な態度で受け入れ窓側の席を譲ってくれた。金沢の生まれで東京からの友人と和倉温泉に泊まりで行くという。暫くすると東京からのおじさんがやってきて、挨拶も早々にリュックからパンツを取り出してトイレに戻っていった。どうやら勢い余ってやってしまったらしい。こういう話を書くのは気がはばかるが恥じらいといった事物を超越した人物であることが話していて分かったのでありがたくネタにさせて頂く。僕含めた3人には偶然の共通点があり会話もぎこちなくではあったが親切にしてもらった。特急・花嫁のれんは特急とは思えないノロノロとした走りっぷりで11:34、七尾に到着した。その名前には普通列車と変わらぬ走りでも特急料金を取る気の強さ、かかあ天下の意も込められているのかもしれない。

去り際、「今度は彼女を連れてくるようだ」と言われ「この列車はぴったりですね」と返すと「案外ませたこというんだねぇ」と笑ってくれた。

 

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花嫁のれん」の原型

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花嫁のれん

 

七尾線変身前夜 1

両端をJR線から分離され能登半島を孤立した形で走る七尾線には製造から50年に迫る桁外れに古い車両が未だに幅を効かせている。いつかは乗りたい、そう思っているうちに新型車両の投入が1週間後に迫るところまできた。新型車両がそこに1両でも混じり合えば純度は途端に薄れもう乗車しても手遅れだと思った。今あるいわゆる「国鉄車両」とは一線を画し全盛期を国鉄で送った、バリバリの国鉄マンが行き交う景色を眺めてみたい。

 

令和2年9月27日、始発の新幹線で金沢へ向かう。わざわざ新しいものに乗って進んで古いものを愛でに行くというのは実に滑稽である。駆逐されてゆく列車にピンポイントで乗車する時代、今後こうゆう事が多々あるのだろう。最初の1時間は一生懸命車窓を眺め僕はそこで初めて野立て看板というのを目にした。だが大宮を出て速度がグンと上がり高崎を出てトンネルばかりになると早起きもあってか眠ってしまい、目覚めると右手には日本海が広がっていた。

 

8:46、金沢着。乗り継ぎに1時間の余裕があったから駅前に出てみるが立派なモニュメントと控えめな噴水の他には車が行き交うばかりで街に出るにはバスに乗る必要がありそうだ。迷った挙げ句朝食は吉野家で済ますことにした。実に消極的選択ではあるが洒落たパンのセットなどでは埋まりそうにない空腹を覚えていたので牛丼は僕を大いに満足させた。

 

誕生日に貰い、使いそびれていた「スターバックスコーヒー」のクーポン券の存在を思い出したため駅ナカのスタバへ。オタクが乗りがちな臨時快速列車の指定席券と同額のコーヒーなど贅沢の象徴なので「お飲み物もいかがですか」「いいえ結構です」と迷いなく宣言した。¥300足らずの食べ物を丁寧に包み渡してくれた店員さんに「よかったらコーヒーひと口でもどうですか」と言われた。僕は最初言葉の意味がよく分からなかった。クーポン券上限額を税込で計算してメニューの前で迷い込んでいる、お金がなくて、多分スタバよりもマクドナルドを好むような残念な少年に多少なりとも甘味のアクセントをサービスしてあげようということなのだろうか。少なくともそれはチェーン店のマニュアルには到底書かれていないであろう一文であった。

 

不意打ちを食らった僕はマスク越しにもごもごしてやっとのことで「大丈夫です」と残し足早にホームへ向かった。貰っておけば良かったなぁ…

2度の骨折で人生変わった(エッセイ)

〜小学3年に始めた野球に熱中し中学でも迷うことなく野球部に入部した筆者であったがそこにはあまりに険しい道が待っていた…〜

 

 

腕がパキッと逝ってダランと垂れた。2018年9月初頭のことである。なんらかの異常は認められたが練習はなんとかこなし練習後にチームメイトとマクドナルドへ。するとハンバーガーが持ち上げられない!あっ、これやばいやつだ。ようやく事態の深刻さを理解し即病院。骨にヒビがはいっていた。夏合宿後痛みを抱えながら酷使されてきた腕が悲鳴を上げたのだった。その後12月までは腕の謹慎期間を味わい三角巾姿で無意味な声出しを担う羽目になる。これが1度目の骨折

 

クリスマス前、ようやく医師からGOサインが出たがあまりボールを投げる気にはなれなかった。投げ方など何も変えていないし根本的な解決には程遠い状況だったからである。というか周りに頼れる大人が存在しなかった。

 

年が明け、インフルエンザを祖父に移したりしながら正月を過ごす。1月10日(たしか)、遂にその時が来る。なんの前兆もなく腕が鳴り平衡感覚と右腕の感覚を失って地面に倒れこんだ。それから救急車で運ばれ病院で緊急患者の身なのに監督と5時間待たされ(5時間一切会話無し!)今度はパッキリ折れた全治1年単位の骨折と診断された。神はそこまでして野球を辞めさせたいらしい。手術をするまでは地獄のような時間だった。だが腕の手術と一緒に魂も取りかえられたのかもしれない。

 

術後は排尿もままならず学校に行ける状態にはなかったので僕は2ヶ月の不登校を経験することになる。この期間が僕を好転させた。「低学年の頃駅の時刻表集めてたなぁ」と何となく観たYouTubeから鉄道に没頭することになる。僕は神の教え通り野球部を退部することに決めた。その後の状況は記事の通りである。

 

 

あの時骨折していなかったら、鉄道趣味はもちろん楽しくもない野球部で髪と時間を搾取されていたと思うとゾッとする。退部したおかげで骨折前の100億倍楽しく有意義な時間過ごしてます

 

部活は楽しくないなら絶対にやらない方が良いと思う。義務感でやっていたが意味不明。まあ運動部に入ってよかった点もあるけれどそれはまた今度。

 

 

 

湘南ライナールポ 乗車編

車内は意外にも空いていて隣席にリュックサックを置けるくらいの余裕はあった。19:00、東京駅を発車。湘南ライナーの乗客は民度が低いという話を聞いて身構えていたが車内に響くのは五月蝿い(僕は好きだ)モーター音だけで宴会をするおじさま方の嬌声は聞こえない。乗車時間が集中し乗客の気も立っている朝の通勤時間に本性を現すのだろう。まあ乗車前に食べ忘れていたペペロンチーノを食べた僕が言えることではない。臭ってはいないと思う。

 

発車してしばらく岡山行のぞみ号と並走し車両センターと高輪ゲートウェイ駅を横目に品川へ。路線図で見れば近いが体感的には相当な距離がある。

折角の乗車だったが夜更かしが響いてすっかり眠ってしまった。目覚めた頃には横浜を過ぎ大船に停車しようとしていた。その後も虚ろとしていて車内探検も遂行できなかったしそんな訳だから別段車内で記すことはない。けれども幾度となく通った東海道路が闇の中を高速で走られると全く別の空間に思えるのは愉快だった。

 

19:58、茅ヶ崎着。相模線の乗り換え時に見る、いつも混み合う茅ヶ崎駅の面影は全くない。同じ時間、同じ閑散具合でも筆者の沿線である中央線とは違う郊外ならではの静寂さがあった。平面駅に15両編成が停まる長いホームがその情景を一層際立たせる。折り返し、ロングシートで残業社員と共に帰宅した。

 

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東とぴあで俯瞰撮影

今日はラクして写真。湘南ライナーに乗る前に東とぴあの展望台で撮影。E4系を待ち構え3時間...途中硬い椅子で居眠りをしてしまいました。下がカツカツなのは跨線橋が写ってトリミングせざるを得なかったから。現地ではそこまで考える余裕が持てませんね

 

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